時速60kmの旅

400ccシングルと一緒に旅に出た。そこで出会った、景色、食事、人を記録した。

大山・蒜山ツーリング 1日目(前半)

10月8日(日)京都出発


9月、10月はとても忙しかった。
少し日常を離れたくて、旅に出た。
バイク日和の晴天に恵まれ、朝7時、京都を出発。

 東寺

寒暖差の激しい最近の気候のため、少々、喉を痛めたようだ。
ただ、じっとして回復を待つより、外で体を動かした方が
良くなることも多い。1泊2日には、十分すぎる荷物。
防寒着をたくさん詰めた。


京都南インターからの道のりは順調で、予定より早く中国自動車道へ
入ることができた。先月の車検で、タイやとチェーンを交換。エンジン
も快調で、以前は重く感じた右手のアクセルも、心なしか軽く感じた。


途中の西宮名塩SA、加西SA、勝央SAで給油。勝央SAでは、
お好み焼きの天ぷらを頂いた。

外はさくっと、中はジューシーな食感は、まさに新感覚。お好み焼きの
風味も天ぷらに合っており、とても美味しかった。


山々に囲まれて走る中国道は、とても穏やかで走りやすい。
また、制限速度を守って走る車が多く、後ろから煽られる
心配もない。
秋の澄み切った空の中、風を切って走り抜ける爽快さは、
日常の慌ただしさを忘れさせてくれた。


そして12時前、蒜山高原に到着した。

一面に広がる美しい緑に、しばらくの間、心を奪われた。
ここまで来るのに約4時間。山に囲まれた高速道路を走る感覚と
目標にしてきた、この景色。達成感にしばらく浸っていた。


最初に寄った「風の駅」。

普通にある「道の駅」とは違っていた。観光物産だけではなく、
地域の人も利用する市場があり、とても活気があった。


そして、おいしそうな匂いに誘われ、屋台へ行くと
B級グルメ「ひるぜん焼そば」があった。

一皿500円。1000円札を渡すと、店の人がテンポの良いリズムで
「はい、1000万円頂きましたので、500万円お返しね」と元気よく
応えてくれた。そのテンポの良さに、思わず笑みがこぼれた。

独特のたれと、お肉にこだわりを感じた。
お腹が減っているときに食べると、止まらない味だと思った。



「風の駅」を後に、一路、「塩釜の冷泉」へ向かった。
「塩釜の冷泉」は昭和60年には日本名水百選(環境省)に認定。
湧水は、東西12m、南北5m、面積約60m2のひょうたん池を形成し、
最深部は1.9m、湧水量は毎秒300リットル、水温は年中11度前後と
冷たいことで名付けられたようだ。

辺り一面を覆う緑。その真ん中から湧き溢れる透明の水は
神々しささえ感じた。近くに流れる川の水を、両手一杯に
すくって、口にした時、素直で混じりけのない味を感じた。
尚、くみ取りは禁止されており観光名所として、大切に
保存されている様子が窺えた。


近くの「蒜山塩釜ロッジ」に寄ることにした。

少し腰を休めるために寄った店だが、ジンギスカンの
看板に誘われ、気がつけば、一人でレストランの席に座っていた。

普段は周りの目を気にして、一人でレストランに入ることはない。
ましてや、鉄板焼きの店に。しかし、旅に来て人目を気にすることも
不自然。そして普段は出来ないことをしないと、日常を忘れることは
できないのも事実。


そんなことを考えながら、1人前を注文。
新鮮なお肉と野菜を贅沢にも一人で、美味しく頂いた。
どうやらこの旅は、食い倒れの旅になる予感。


お腹いっぱいになり、温泉に行くことにした。
普段は、お昼にお風呂に入ることはしない。
しかし、既に多くの車が停まっていた。

汗を流した後、露天風呂に浸かり内風呂に浸かり
気がつけば1時間以上、経っていた。


上がった時に少し喉の痛みが増したのを感じた。
やはり風邪を引いている時に長風呂はよくない。
ゆっくりして、携帯を見ると着信があるのに
気がついた。休日に働いている身内からの着信に
一人、満喫していることへの申し訳なさを感じた。


そこから、一路、大山へ。
普段、職場でサントリー「奥大山の水」を飲んでおり
その工場へ向かうことにした。


途中に出会った、大山は勇ましかった。

北海道ツーリング 5日目

8月20日(日) フェリー(復路)


目覚ましを7時にセットしていたが、8時30分に起床。
朝ごはんを食べるために、食堂へ行った。

ホテルの朝食を思わせる、贅沢な食事だった。


船の甲板に出て、旅の記憶を留めておくためノートに記録していた。

すると、同じテーブルに180cmはあるかと思う大柄のライダーが
ビールと乾き物を手に、「隣いいですか?」と話しかけてきた。


「どうぞ」と応えると、旅の話をされた。
その大半が、旅で出会った人との話だった。


話していて共感できる部分が多く、青い海を見ながら特別な時間だった。
その方は、6泊6日でライダーズハウスを回りながら、
北海道を一周されたらしい。


中でも印象的だったのは、根室での話。
多くの根室に住む方は、先祖が国後島にあるらしく、両親のお墓でさえ
今は行くことができない状況。


本土に暮らす我々にとっては、経済的な問題でロシアと領土交渉
していると考えがちだが、もっと切実な問題があったことを知る。


また、宗谷岬でのライダーズハウスでは、
2800円でウニ丼付き。飲み放題だったと。
確か「漁師の店」と。


ただ、誰もウニ丼は注文せずに、店の親父に会うために来るらしい。
夜になると、お酒の飲めない人も輪に加わり、偶然出会った仲間同士で
一夜を楽しく過ごす。それが、宿泊の目的。とてもロマンチックで
思い出深い時間だと思った。


そして、ライダーズハウスには、安い分、2ヶ月も3ヶ月も
居着いてしまう人も多いらしい。当たり外れはあるが、
共同生活をし、一人当たりのスペースが限られる分、出会いが
多いと話してくれた。


帰りは、敦賀港から愛知県・豊田市まで帰られるようで、
お互いの安全を誓った。



風呂に入った。
行きとは違い、露天風呂があり、とても気持ちよかった。
その後は、読書にふけった。


下船する19時頃に、新日本海フェリー特製カレーを頂いた。

とても美味しかった。


そして、いよいよ下船。しかしライダーの順番は最後に。
20時20分には港に着いてたものの、下船時間は21時を回っていた。


そこから2時間余り、米原を経て京都に到着。
時刻は23時30分だった。


この5日間の旅は、私にとって特別な価値観を与えてくれた。
日常の生活から離れて、出会ったことのない景色、食事、人に触れ、
小さなことで悩んで前に進めなかった自分がどうでもよくなった。


前を向いて進むことで何かが変わる。人の助言を受け止めることで
新しい世界が待っている。北海道の大地と人が教えてくれた思い出を胸に
これからの人生を豊かにしていきたい。


最後になりましたが、旅の出発前、途中に電話を、そして
いつも応援してくれる私の大切な人に、感謝の気持ちを伝え、
旅行記を締めくくりたいと思います。


読んでいただき、ありがとうございました。

北海道ツーリング 4日目

8月19日(土)旭川出発


5時起床。起きて一瞬、自分が今どこにいるのか、分からなくなるぐらい
深く眠っていた。
散らかった部屋を片づけているうちに、昨日の記憶が次第によみがえってきた。
走っているうちに、見えてくる別の灯台がある。目標の灯台に行けなくてもいい。
目標は走っているうちに変わるもの。重要なことは、走り出すこと。
昨日、走りながら、考えていたことを思い起こしていた。


泊まったコートホテル


6時30分、ホテルを後に南へ向かった。バンテリンとピップエレキバンが効いたせいか
昨日感じた、肩のしびれや腕の痛みは緩和されていた。


出発して15分後に給油所に立ち寄った。
そのとき、バイクのフロントガラスに大きなバッタが止まっているいることに
気がついた。

安全な場所に移動し、いざ出発。

相棒を得た安心感を覚えながら、花人街道と呼ばれる富良野国道を南へ進んだ。
道の両側に草原が広がる美しい道だった。


快走しながら、気がつけば美瑛の文字が目に入った。通り過ぎそうになったが、
代表的な北海道の景色とされるパッチワークの路へ立ち寄った。

なだらかな丘は、違った色でライダーを楽しませてくれた。
そこには、子供の頃に絵本で見たような風景が広がっていた。

セブンスターの木

ケン&メリーの木

マイルドセブンの丘

親子の木

最初に立ち寄ったセブンスターの木。まだ、朝の8時30分だったこともあり、来ている人も少なく、丘の上に大きく立つ一本の木に愛車と一緒に撮影する人の姿も見受けられた。煙草の広告に使用されたことから、このような名称が付けられたようだ。
他にも、ケン&メリーの木は日産スカイラインの広告に、マイルドセブンの丘はマイルドセブンの広告に使用されたことから、このような名称が付けられたと看板の説明に書かれていた。


観光名所、そのものにも惹かれたが、名所を回る道中の景色が感動的だった。
同じ路を何周も走った。夢のような世界だった。


また、牧場があったので立ち寄ることにした。

ポニーが放し飼いにされており、北海道の豊かな大地で、ほのぼの暮らしている姿に
心が和んだ。こんな暮らしがしてみたい。


そして最後に立ち寄った北西の丘。
道の観光施設のようだった。お土産店が並ぶ施設のようだが、見所がない。
お手洗いに寄って帰ろうとしたところ、そこに小さなアトリエがあることに気がついた。

美しい庭を通り中に入ると、美しい写真とガラス工芸が並んでいた。
そして、店の紳士がつぶやいた。


「世界は変わったね。北海道が、こんなに暖かいんだ。
 東京より暖かいんだよ。地球温暖化は、間違いなく進んでいる。
 化石燃料からクリーンエネルギーに変えなければならない。」


とても関心のあるテーマを口にする彼に、そのまま耳を傾けた。


「ここで、アトリエを開いて、20年以上。るるぶの雑誌にも
 掲載される写真そして、ガラス工芸を創作している。」


聞くと、ヨーロッパにも修行にいかれたようだ。


「でも昔は、美瑛の役場に勤めていた。39歳の時、
 上司から止められながらも、退職することを決意。
 妻と子供2人を抱える中、父親にも反対された。
 その後、旭川でアトリエを開設。奥さんの首かざりがヒット、
 その後、ご主人のガラス工芸「流水」がヒット。
 東京から来た人は、みんな景色のいいところでアトリエが出来て
 羨ましいと言うが、芸術家は皆、苦労をしながら
 生計を立てている。だから続けないといけないのだ。」


言葉の中に、ご主人の力を感じた。御年70歳。
とてもそんな年齢には見えない若さを感じた。
その後、昨日訪れた神威岬、ニセコ、小樽、石狩、留萌
の話をした。


神威峠の話では、
「切り立った断崖。あの形状は、火山活動でできたのだろう。
 厳しい気象条件、荒れ狂う中で時折見せる、積丹ブルーの海
 で風に当たっていると、嫌なことを全て受け止めてくれるように感じると。」
ご本人しか分からない、とても辛い経験をされてきたのだと思う


そんな話をしていると
ガラス工芸の中に、フクロウがいることに気がついた。聞くと、
最後の一羽。記念に購入することに決めた。すると、ご主人が、
未だ発表していない絵はがきをプレゼントしてくれると。

とても美しい写真で、部屋の壁に飾っている。
一番右の写真は、澄み切った美瑛の空気と雪のコントラストが美しく、
とても気に入っている。
左の写真2枚は、既に切り倒されてしまった木だそう。
これまで、観光名所と言われる木を回ってきたが、
どの木よりも、印象的だった。


別れ際に、おすすめの
焼きジャガイモとトウモロコシの店を教えて頂いた。
豊かな土壌で育ったジャガイモは、
甘くて美味しいようだ。
早速、その店に行くことに決めた。

中は、ほこほこの焼きじゃがは、甘く
これまで食べたことの無い美味しい
ジャガイモだった。トウモロコシも最高だった。


とても有意義な時間だった。心から美瑛の自然が好きで、
美しいことが好きな紳士に出会うことができた。
この旅で一番の思い出となった。



名残り惜しみながら美瑛を後に、富良野へ。
ロープウェイをのぼり、雄大な十勝平野とラベンダーの香りを楽しんだ。


昼過ぎになり、ジンギスカンを求めて南へ向かった。たまたま、あいていた定食屋に
入り、ジンギスカン定食を注文した。


鉄板で焼いて食べるスタイルで本格的な定食だった。


旅の疲れで、右手が痛くなり、昨日購入した湿布を貼った。
とても効果的で、力の入らなかった右手が回復。再び、
快走することができた。


南へ下ること30分、占冠に到着。夕暮れ前に、苫小牧港へ着きたかった。
山路で最短距離で日高門別方面に向かうか、夕張方面に立ち寄るか、迷った。
ただ、ニュースで見た夕張の街を見てみたいと思い、夕張方面へ向かうことに
した。


夕張市に入った。しかし、中心街へは幹線道路から16kmあり、
諦めることにした。交通の不便さが、街を衰退させたのかもしれない。
代わりに道の駅に立ち寄り、会社へのお土産として
夕張メロン味のクッキーを購入した。


駐車場で声をかけてくれた京都のライダーと言葉を交わした。
すると、苫小牧市街にある港が新日本海フェリーの港だと思っていたが
実は、そこから20kmほど東へ進んだところにある別の港だと言うことを
教えてくれた。とても有り難いアドバイスだった。


そこから1時間半、西山ラーメンのお土産を購入するために、苫小牧市街へ。
行くと苫小牧は大企業の工場が並ぶ、産業都市だった。苫小牧駅に行けば、
お土産があると思ったが、バイクを駐車することが無く断念。


検索したところ苫小牧港フェリー乗り場の中の、お土産店が充実している
ことを知り、行く当ての無かった港へ。そこは、大きなフェリーターミナルで
やはり鉄道よりもフェリーが、移動手段として重宝されている様子が窺えた。


お目当ての西山ラーメンを3箱購入。一路、東港のフェリーターミナルへ向かった。

19時30分にフェリー乗り場に到着。出港まで4時間余り。
待ち時間がとても長く感じられた。

支笏湖へ足を伸ばすという選択肢もあったかもしれない。
しかし、夕張で親切にも「夕暮れ前には港に着いておくべきです。」と
助言してくれた方の指示に従って、正解だと思っている。
自分だけの判断は、誤っていることが多い。そう、思う。
特に、土地勘の無いことについては、経験のある方の判断に任せるのが
正しいと思う。


出港は、予定よりも30分ほど遅い時間となった。


入船して、とてもラッキーな部屋であることが分かった。
通常は、2人スペースのツーリストAだが、部屋の両端は
一人スペースだった。

しかし見方を変えれば、隣の人と会話するチャンスを逸したこと。
物事には、両面がある。


疲れていたこともあり、12時30分には横になった。