時速60kmの旅

400ccシングルと一緒に旅に出た。そこで出会った、景色、食事、人を記録した。

北海道ツーリング 3日目


8月18日(金)小樽出発


4時30分に目が覚めた。船の中で熟睡できたためか、旅の前で落ち着かなかったせいか、昨晩はなかなか寝付けなかった。身支度をして宿を出た。

お世話になったゲストハウス

そのまま、朝の小樽市街へ向かった。ペンケースを無くしたことに気づき、昨晩、財布を落とした場所に落ちていないか、探すことが目的。残念ながら見つからなかったが、おかげで昨晩とは違う、澄み切った空気の小樽市街を見ることができた。



そして、予定通り、ニセコ方面へ向かうことにした。余市を通り、海岸線をひたすら走った。

時より吹く強い風を受けながらも、初めて走る信号の無い道路は心地よかった。そして、積丹岬を目指した。


積丹岬の麓に、「みさき」というウニ丼で有名なレストランに入った。朝の早く、小樽のコンビニでおにぎりを食べていたこともあり、コーヒーを一杯、注文した。とてもおいしかった。

美味しかったコーヒー300円

積丹岬・女郎岩を1kmほど歩くことになっていた。しかし、積丹岬の展望台についた時、満足感を感じて、その先の女郎岩へは行かなかった。後で、女郎岩がすばらしいと、現地の人から聞き、とても後悔した。やはり、旅はめんどくさがらないことが大事。
積丹ブルーと呼ばれる海の青さが有名な景観。どこまでも続く水平線はすばらしかった。

そして、名所である神威岬に向かった。
しかし、7時43分に到着したとき、まだ開門されていないことが判明。8時に開門するらしい。それまでの間、近くの海岸で待つことになった。すると、私よりも早く、ライダーが2名、同じように待っていた。確かに、地図には8時開門と。事前にチェックすべきだった。

ただ、待ち時間も旅ならではのこと。ウニ漁でもしているのだろうか、朝早くから漁に出ている船が見受けられた。そして、いよいよ開門。神威岬へは、駐車場から歩いて20分。今度は、めんどくさがらずに歩き切ろうと心に決めた。

思った以上に、細く険しい道を通った。それだけに行くことが難しい場所でもあり、昔から人々に恐れられいた場所でもあった。
案内によると。古くは、女人禁制だったという。誰が言ったのだろうか、女性を連れてこの岬に訪れると神々が怒り海が荒れ出す。たぶん、よくある迷信だろう。しかし、あるとき、海に向かって「なぜ、そんな理由で海は荒れる。我々は征夷大将軍の使いで来ているのだ」と叫んだ役人によって、その迷信が取り払われたようだ。

途中、東側の崖に洞窟を発見。説明によると遭難した船のために、長くトンネルが掘られているようだ。変化の激しい気候の中、その作業はどれだけ大変だったかを思うと、心が痛む。

真ん中付近に見える2穴の右側

そして、歩くこと20分。灯台に到着した。北海道で5番目に古い灯台らしい。この建設が、どれほど大変な作業だったことが、案内で書かれていた。

灯台

そこから少し歩くと目的地の岬に到着。見事な世界が広がっていた。
火山活動で形成された猛々しい断崖と、遮るものの無い水平線は、地上に居ながらにして地球の形状が感じられる美しい景観だった。そして、神秘的だった。

そして神威岬を背に南方面へ。岩内を目指すことにした。



途中、幌似駅にある鉄道記念館に寄った。国道が出来る昔は、鉄道が走っていたらしい。道北エリアで廃線になるニュースを思い出して、時代の移り変わりを感じた。

ほろに駅の外観

昔のまま、保存されている駅舎

当時、走っていた車両

昔のまま保存されている車両内部

そして、倶知安方面へ。



倶知安市からニセコ山脈へ。大自然の迫力を感じながら走った。

ただ、ニセコの山道は思った以上に長く険しく大変だった。

ガイドブックに書かれていた、周囲200mの巨大な温泉は念ながら定休日。

入れなかった源泉

一緒に居合わせたライダーと「しょうが無いね」と言葉を交わし、写真だけ撮影して、羊蹄山方面へ向かうことにした。


蝦夷富士と呼ばれる羊蹄山も雲がかかってしまい、全景を見ることができなかった。

しかし羊蹄山の湧き水は、素晴らしかった。口にして驚いた。とてもまろやかで、ほのかに甘みを感じる水だった。万年の雪と豊富に含んだ火山の養分が混じり合い、見事な水を作るらしい。

感激した羊蹄山の湧き水

羊蹄山を半周回り、再び小樽方面へ向かった。



途中、赤井川の道の駅に立ち寄り、少し遅めの昼食をとった。

羊蹄山で食べられなかったお蕎麦を頂く

隣に駐車したライダーと、言葉を交わした。小樽から来られたとのこと。その道中、激しい雨に出会ったので注意するように、アドバイスを受けた。その言葉の通り、激しい雨に打たれ、かなり視界が悪い中で393号線の山道をただひたすら2時間走った。


小樽市へ到着する少し手前、毛無山で小樽市街を一望できる展望台に立ち寄った。
ガイドブックには、夜景が素晴らしいと書かれていた。

そして再び、小樽へ。小樽駅に到着する頃には雨がやんでいたため、雨具を脱ぎ、道北方面へ向かうため、バイク置き場で準備を整えた。しかし、時刻は既に14時30分。予定より、2時間30分遅れの到着だった。


そして、道北へ。札幌へは高速道路を使ったが、また激しい雨に遭遇。途中のサービスエリアで雨具を着用。雨がおさまるのをしばらく待った。再び走り出して考えた。そのまま進めば18時には宿泊先の旭川に到着できる。しかし、予定通りに到着することが旅の目的だろうか?


振り返れば、これまで15年間、同じことを考えてきた。安定した生活、それで満足なのか。そして、安定した会社を辞めたのが31歳。職場の人にも恵まれ順風満帆で、今思えば何不自由のない恵まれた環境だった。ただ、このままで本当に良いのだろうか。漠然とした不安が下した決断だった。求めていた何か特別なもの。
それは、例えば決断しなければ分からない世界。失業、再就職するものの職場の企業風土に合わずに僅か10ヶ月で退職し、再び失業。


その後、今の会社に就職。しかし、入社後2年間は苦しい生活が待ち受けていた。入社の際には、ウマが合うと思っていた管理職と上手くいかず、再び迷い苦しい時間が2年続いた。しかし、安定とは対局にあるこの苦しい世界を望んだことも自分。だから、決断した自分を信じる以外は選択肢に無かった。そんな時、転機が訪れた。
親会社への出向と管理職の退職。これまでの生活とは一変し、前向きに仕事に打ち込むことが出来た。周囲の協力もあり、海外出張の機会も増え、再び順調に回り出した。
「人生、運と縁。前を向いていれば恵まれる。」5年前、定年退職する親父から頂いた言葉の意味を実感した。社会人生活も旅も前を向いていれば。風まかせでいいと思う。


高速道路の道は整備されて安全だった。しかし、旅の意味は新しい発見。江別西出口で高速道路を下りて、下道を北へ走ることにした。その道は広く、宿泊地である旭川へ一本延びる道気持ちのいい道だった。一路、西へ20km石狩方面へ進むことにした。石狩平野は広大で、まるで映画で見るような小麦畑が広がっていた。信号の無い81号線は、とても心地よかった。石狩市の八幡町に着き、再び北へ。時刻は既に16時だった。


そこからは、長い海岸線を115km、北へ向かって走った。5kmのトンネルが何本もあり、路面が湿っているところは注意を要した。ただ、海岸線の道は気持ちいい。

札幌を抜けてから、ずっと晴れていた。見晴らしのよい丘ではバイクを止めて撮影。対向車線ですれ違うバイクは皆、「ピースサイン」「万歳サイン」「やさしく手を振る」など
様々な合図で旅を盛り上げてくれた。


そして、夕焼け。これを見たいから高速道路を下りて、海外線を走ることに決めた。予想以上に景色に、これまで走ってきた疲れや目的地に到着できない不安はなかった。


増毛市で撮影した夕焼けの海岸線。毎日、見ている同じ夕日なのに、どうしてここまで、違って見えるのだろう。

しかし、夕焼けの後は日没。不慣れな北海道の道をこれから、宿泊地の旭川市までいかなければならない。時刻は既に18時30分。まだ、90km以上を残していた。
あきらめて、留萌に宿泊するか、それとも、少しづつでも走り出すか。
前に進むことにした。


留萌市に19時に到着し、何とか給油所を発見。道北の給油所は夕方頃には、閉店する店が多く、見つけた時は、ほっとした。

これから、深川-留萌自動車道を走る前、コンビニで一息。店員の愛想が良くとても気持ちよかった。

バイク免許を取得したのが34歳。それ以来、バイクは変えていない。乗れば乗るほど、愛着を感じてくる。まるで買っているペットのように。これまで京都市から、富士山、金沢など、色んなところを旅してきたが、まさか北海道まで来るとは思いもしなかった。


しかし、この時、肩はしびれ、手の握力は無くなり、なんとか60kmで走れる体力しか残されていなかった。あと少しだけ、頑張ってくれ。自分の体とバイクに語りかけながら、一車線で煽ってくる車に道を譲りながら走行車線をゆっくりと進んだ。


そして9時過ぎに旭川に到着。ドラッグストアで、明日のためにバンテリンとピップエレキバンを購入。ホテルに到着したのは、9時40分だった。


思ったよりホテルの浴室が狭かったこともあり、近くの浴場へ行った。最終10時チェックインとあり急いで向かった。とても綺麗で、何種類のお湯が楽しめる浴場だった。
10時20分に上がり、旭川の街を歩いた。金沢を歩いたような風情を感じた。最北端の都市、旭川市。それは、とても美しい都市だった。

元祖旭川ラーメンという名前に誘われ、「一蔵」というラーメン屋に入った。味噌ラーメンと生ビールを注文した。想像以上に麺にはコシがあり、スープにはコクがあった。
とても美味しいラーメンだった。


23時30分に再び、ホテルに到着。眠りについた。



北海道ツーリング 2日目

8月17日(木) フェリー(往路)


気がつくと、8時00を回っていた。船から、日の出を見ようと思っていたが、寝過ごしてしまったようだ。身支度をした後に、コンビニで買っていたおにぎりを食べる。


穏やかな海を眺めていると、普段は手がつかない読書や書き物をしたくなる。行き詰まっても、外を見ると前に進んでいる光景が安心感を与えてくれる。退屈な作業が退屈でなく、特別な時間に感じる。


気がつけば、2時間以上も本を読んでいた。様々な島が見える瀬戸内海とは違い、日本海の海には変化が無く、たまにすれ違う同じフェリーにも歓声があがる程だ。

しかしWifi電波も届かない、この場所は日常の慌ただしさを忘れさせてくれる。


13時30分、新日本海フェリー名物のカレーライスとアイスコーヒーを頂いた。

もう一度、本を読み、16時頃、お風呂に入った。
お風呂場以外にも、さまざまなアミューズメントがあり、それぞれが思い思いに船の時間を楽しんでいるようだった。

そして、19時頃に食堂でラーメンと食べた。

カレーライスもラーメンも、船の中にしてはリーズナブルな800円程度。ちょうど良い量と味だった。食べている途中、到着時刻のアナウンスが入り、支度してバイクへ向かった。
そして、いよいよ下船。

小樽の街は、異国情緒が残り、ライトアップされた建物はまるで海外に来たように感じた。レンガ倉庫の前で写真を撮影。出発した舞鶴港とどこか似ていて、何もかもが美しい。街では、アコーディオンを弾いている若い演奏家に遭遇したり、レンガ倉庫を改装したおしゃれなバーがあったり、歩いているだけでも楽しい。

しかし、そんな時、財布を落としていることに気がついた。落とした場所は、フェリー?
港?それとも・・・。戻る準備をしていると、辺りでそわそわしていることに気がついた。
財布を拾ったカップルが、辺りの人に尋ねているのを見た。本当に助かった。ただ、お礼はしたものの、もっとお礼をしたかった。いやすべきだった。もし拾ってくれなければ、警察に届けて帰るまで野宿するしかなかっただろう。


安堵し、ゲストハウスへ向かった。しかし辺りが暗くなり、場所が分からずに迷った。苦労して21時40分にようやく到着。
そこで働いていたスタッフさんがとても親切だった。わざわざバイクを車庫に入れてくれ、電話しているときは部屋を暗くして、しっとりしたBGMを流してくれた。
そして、話をすると、学生時代は京都で過ごし、その後、地元の関東に就職するが、直ぐに沖縄へ行く。しかし、今度は北海道に。たまたま、ヘルプで入ったゲストハウスに正社員として働くことになったようだ。


いろんな人生があると思う。でも彼は、自分で選んだ人生を進んでいるように思う。
10時過ぎに、身内から電話をいただいた。声を聞いてとても落ち着いた。








北海道ツーリング 1日目

転職して5年が経ち、仕事も落ち着いてきた今日この頃。1週間のお盆休みを得た機会に、バイク免許を取ったときからの夢だった北海道旅行に出かけた。


8月16日(水)出発


少し早めに家を出た。舞鶴まで約100km。暗くなると、高速道路の走行に不安を感じたためだ。そして、予定より少し早い18時30分に舞鶴に到着。
しかしパソコンのACアダプターを忘れたことに気がつき、駅近くの家電量販店に立ち寄った。ただ、在庫が無く断念。仕事のことは忘れて思いっきり旅を楽しむ決意をした。


23時50分の乗船まで、あと5時間あまり。まずは、胃袋を満たすために餃子の眠眠に立ち寄った。


注文した料理は硬焼きそばと餃子。あんかけと硬麺との相性は抜群。餃子もジュウシーで、あっという間に完食。そして何より、店の人の気遣いを感じ、心が和んだ。

その後、赤煉瓦パークに立ち寄った。家族連れの人だかりに誘われ、歴史を感じる建物に入っていくと、遠くで夜店が並んでいることに気がついた。そこには、これまで出会ったことのない、華やかな世界があった。流行の音楽と美しいレーザー光線。静寂のレンガハウスが、まるで生き物のように動き出し、訪れた人を魅了していた。

得をした満足感を覚えながらバイクへ戻ると、会社の同僚から着信があることに気がついた。折り返し電話をすると、出社しているらしい。仕事の相談だった。直ぐにフェリー乗り場へ向かい、メールで対応。ここ数日の溜まっていたメールも一気に返信した。

バイクの乗り場へ向かった。既に多くのバイクが集まっていた。皆、大型バイクやオフロードバイクに大きな荷物を積み、まるで北海道ツーリング仕様。一方、私のバイクは、まるで通勤仕様。しかし、ツーリング初心者の私にとって、普段着の感覚が何より重要。

また、たくさんの牛を積んだトラックに遭遇。どうし


て京都から北海道へ運ばれるのか、
疑問に感じた。



そして、23時。待ちに待った乗船の瞬間。係員の指示に従い、スムーズに乗船。甲板から見る舞鶴港は美しく、しばらくの間、外で感傷に浸っていた。



30分ほど経過し、街の明かりが見えなくなり始めたので、部屋に戻った。思ったよりも快適なツーリストA。プライベート空間が確保され、隣の人も静かな方で安心した。


落ち着いたところで、コンビニで購入した缶酎ハイとつまみを食べながら、旅程を考えた。1時間ほど考えて、決めた。
  ・1日目(18日) 小樽 ⇒ ニセコ方面 ⇒ 羽幌 ⇒ 旭川
  ・2日目(19日) 旭川 ⇒ 富良野   ⇒ 札幌 ⇒ 苫小牧
短期間なため、効率良く回りたい。


旅程が決まったところで、大浴場へ行き汗を流した。とても広くて清潔感があり、快適だった。1時30分頃に就寝。